飽き性が『おもしろい』を追求した先に見つけた答え

ピュアでごめんなさい

株式会社ミライユの伊賀です。新企画ピュアでごめんなさい」をスタート!
ピュアな想いや考えを持っている方をご紹介してペイフォワードしていく企画です。

今回ご登場いただくのは、株式会社TSUNAGU代表中村雄太さん(以下中村さん)です。中村さんにいまの考え、会社の未来、想いの丈をお聞きしていきたいと思います!本日はよろしくお願いします。

中村さんーよろしくお願いします

ーはじめに、中村さんについてエピソードなど交えて教えてください

中村さんー中村雄太と申します。生まれは大阪府東大阪市、3人兄弟の次男です。昔から兄と弟と比べられて変わっていると言われていました。運動は苦手ではなくできたほうだと思います。

ースポーツなどいままでにおこなってきたのですか?

中村さんー小学校4年くらいからソフトボールを初めて、中学校も野球部に入りました。中学2年の頃には大阪で3位になるほど強かったのですが、その後は・・・

ーその後がすごく気になるのですが、勉強の方はどうだったのでしょうか?

中村さんー勉強は苦手でしたね。授業を受けた記憶がほとんどないんですw
急遽受験をする事になって、1年勉強をしまくりました。高校は行きましたが、大学は行けるところがなくてフリーターになり高校のときに始めたディスカウントストアで働きながらフラフラしていました。

ーどのようなお仕事を経験してきたのでしょうか?

中村さんー20歳になるタイミングでディスカウントストアの店長から社員にならないかと言われ社員になりました。毎年新店舗ラッシュで社員になって1年くらいで店長になったのですが、昔からの飽き性が発揮してしまい、店舗に来られる営業さんと話をしているうちに営業に興味を持って、食品メーカーに就職しスーパーに営業に周るルート営業を始めました。

ー店長から営業に仕事を変えてどうでしたか?

中村さんー売上が落ちてしまい、やりにくかったですね。

ーそれはどうしてですか?

中村さんー前任者がいる担当の人とは仲良くなれなくて・・・。前任者と仲がよくない所によくいくようになり、仲がいい所にはいけず。それが2年ほど続きました。定期的にルートも変更になったり、前任との引き継ぎがめんどくさかったですね。

飛び込み営業の方がラクと思って24歳のときに転職しました。東京に転勤になったのですが、31歳のときに飽き性と何か嫌なことがあるとその場にいることが嫌になることもあり、東京にきたままそのお仕事を辞めることにしました。

その後は派遣で駅の構内などでパンを売る仕事をしてきました。

ーいろいろ経験をしてきたんですね。TSUNAGUを作るまでのことを教えてください!

中村さんー派遣のパンを売る仕事を辞めたあとは少しフラフラしていたんです。実家が介護施設を経営していて、弟はすでに手伝っていたのですが、32歳のときに初めて福祉介護の仕事に就きました。老人ホームの入居の営業をしていたのですが、仕事ができそうなのに、ヘルパーさんに手伝ってもらう必要があるのか?などの相談を多数いただくことがあり、仕組みがないか調べているときに、「就労支援」(一般就職するまでの訓練、国が認定しているもの)があると知りました。障害者という枠組みをつけられた人たちが介護業界で活躍できるのでは?同じ系列の会社で訓練をして、ビジョンや想いを共有した人達を自社で直接雇用することができる。すごくいいと思い、試しに実家の介護施設でやってみようという話になったんです。介護と障害は似ているようで制度も違っていて、先導をきって動いていた矢先、突如それを辞めるということになったんです。そこで自分でやろうと思って立ち上げたのがTSUNAGUです。

ーTSUNAGUができるまでにいろいろなことがあって生まれたんですね。TSUNAGUについて少し教えてください

中村さんー障害のある人達を絶対に戦力にできると自信がありました。就労支援をしていく中で色々学んできました。それがTSUNAGUを作るきっかけです。会社を作るまでは早かったですね。でもフタを開けたら大変で、甘く考えている部分もありました。

作業所を作り、色々な仕事をしてもらいその仕事で得た売上は給料として全額支給しています。ツナグ工房でオリジナルの作品を作って販売、雑貨を作って販売していました。毎日来てくれる人もいれば週に1回の人もいたり、訓練というよりは仕事を通して支援しています。

仕事を通して支援しているので、オリジナル商品を作って販売していますが、売れるところまでみてもらわないと意味がないと思いました。自分達が作ったものを自分達が知らない所で売られている、やりがいってなんだろう?自分が作ったものを手にとってお金を出して、気に入って買ってくれる。その瞬間に初めて「お金」+「やりがい」が手に入ると思い雑貨屋をやるきっかけになりました。

ー雑貨を始める中で意識したことはありますか?

中村さんー雑貨だけで人が来るのだろうか?ということから軽食、パンとコーヒーの提供を初めてみました。ただ、近くのスーパーが同じようなことを始めて、価格も安いんです。そこから新しい糸口を見つける中でカフェに注目をして雑貨とカフェで「つなぐ茶房」というカフェを作りました。

ー飲食の経験はあったのですか?

中村さんー飲食の経験はありません。まったくの未知の領域です。たまにランチのお手伝いに来てくれる人に教わったりしながらやってきたのですが、なかなか安定しなくて・・・。自分が作ったものを目の前で売りたいのかなと思っていたら、「ホールが辛い」「作るの1本でやりたい」などの声もあがってきて、2020年4月いコロナの緊急事態宣言をきっかけにいままでのやり方が少し違うなと思い一度閉めて方向性を見直す期間にしました。

ー方向性を見直してどうでしたか?

中村さんー自分たちしかできないものをしたいという想いが強くなりました。あとは自分たちがおもしろいものをやろうという気持ちもさらに強くなりました。ツナグ茶房を作る際にさぼうくんというクマのキャラクターを作ってもらっていたんです。そこで当時は桃の季節だったのですが、桃を半分に割ってそこから茶房くんが生まれているようなもの(ももさぼう)を作ったらそれがカフェ好きのインスタグラマーの目に止まったんです。500人くらいのフォロワーがあっという間に2000人くらいになってカフェの売上が日に日に増えていきました。

クマのキャラクターで商品展開をしていたら、阪神百貨店から声をかけられて、苺フェアに出店して3時間くらいに待ちがでる人気店になったんです。

ーそれはすごいですね

中村さんーメインのクッキーやケーキは障害のある人が作っている。一生懸命やったら社会に通じると思っていました。だけど社会は認めてくれない。すごくもんもんとした日々を過ごしていました。面接に行っても、ケーキは作れるけど、想いをうまく伝えられない。TSUNAGUには身体障害よりも発達障害とか知的障害の人が多い。伝えるのが苦手な人たちが多いんです。

たくさんお客さんが来てくれる人達のことをうまく伝えきれていない。就職が目指しているゴールだけど就職が決まって辞めると僕たちも戦力として考えていた人たちが抜けるため非常に苦しくなる。

そんななかでbake Labをオープンさせることにしました。バリバリ戦力としてやっているけど面接に受からない人を直接雇用して直接給料を払う場所です。

ー7年間就労支援をしていく中で出した1つの答えがbake Labでしょうか?

中村さんーわたしは、福祉の業界を変えるとか、イメージを変えたいとか、障害者のイメージを変えたいとかはありません。ツナグに関わって来た人達に関しては、守っていきたい。生きやすく、もっと豊かになってほしい。でも社会はなかなか理解してくれません。

ツナグ茶房には月に250件くらい予約がはいります。でも認めてもらえません。伝え方もわかりません。制度を使えば売上はとれるが決まりごとが多く、能力で稼ぐ人もいれば、時間で稼ぐ人もいます。稼ぎたくてもなかなか稼げないのが現状としてあります。就労支援を使わなければもっと稼ぐことができます。bake Labは制度ではなく、一般の店舗としてやるのでガチの売上で勝負をします。

7年間やり続けてきてやりたい事は、いまいる人達の収入を増やす、その人達のペースに合わせた環境を探す。なければどうする?その結果、自分達で作ったらいい。制度をつかわない形、新しい形です。きちんと雇用して運営することができるのか?社会的実験も込められています。

コンセプトは「障害を持って支援されていた人が支援者を癒す場所」

ーTSUNAGUの未来像を教えてください

中村さんーやりたくないことはやらない。売れそうなものでも、そこにおもしろさがなければやらない。仕事をすることが成功とは考えていません。一緒に答えを導きだしていく立場、その人たちが進みたい所にとういくかを考え、稼ぎたい人には稼げる社会を作りたい、障害がある、ないにかかわらず、選択肢を常に増やしていける場所にしたいです。

ー選択肢を増やすという言葉にすごくひかれました。最後に中村さんの目指すところを教えてください

中村さんー頑張りたい人たちが頑張れる。頑張りたくない人は頑張らなくてもいける。そんな会社を作りたいです。自分たちがお店を増やすかどうかはまだわかりませんが、選択肢を広げていけるような社会を作りたいです。スタッフ含め、障害者の人達含めて、自分が選びやすい選択肢を会社として増やしていきたい。社会にも増やしていきたいです。

そのために大きくなるのではなく、いろいろな人達に知ってもらうため日々活動しています。

ー関わった人達を幸せにするための活動、あたらしく制度使用しないbake Labなど今後の活動がすごく楽しみです。Twitterやインスタなどで発信をしているのでわたしも常にチェックしていきます!

中村さん本日はありがとうございました!

写真【プロフィール】
1980年5月東大阪市で生まれる。3人兄弟の次男として、小中と野球に明け暮れる。高校ではアルバイトに勤しみ卒業後は1年間はフリーター。その後ディスカウントショップに就職。それから10年間は営業職や販売職を転々とし32歳の頃に介護業を営む実家の会社へ。そこで出会った障害を抱える人を訓練を通して介護業界で活躍できるのではないかと、就労支援事業を行う株式会社TSUNAGUを2016年創業。現在7期目。

【中村雄太】

【Twitterアカウント】

中村雄太@森のくま社長

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