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ピュアでごめんなさい
新企画の「ピュアでごめんなさい」
ピュアな想いや考えを持っている方をご紹介してペイフォワードしていく企画です。
株式会社ミライユの伊賀です。
今回ご登場いただくのは、株式会社BREAK代表の小川佳祐さん(以下小川さん)です。小川さんに今までの人生について、会社の未来、在り方や夢についてお聞きしていきたいと思います!本日はよろしくお願いします。
小川さんーよろしくお願いします
はじめに、エピソードを交えて小川さんについて教えてください
小川さんー株式会社BREAKとは弊社理念であるBreak The Borderからきています。壁を壊していく、自分の殻を破っていくがテーマになっています。自分の原体験からくるものです。
小さい頃から人が苦手で学生までレールのような人生を歩んできて、それを変えたい、いまのままでいいのかな?という思いから、サッカーをしたり、旅などの経験から壁をこわす大切さ、超えた時の達成感、喜びみたいなところを重要視していて、社会の中で再現するのを考えて、経営しています。
ーありがとうございます。次はビジョンマップを通して、会社について教えてください。プロフェッショナルになる13の要素とありますが、これは最初から13と決めていたのでしょうか?
小川さんーもともとは少なかったです。ビジョンマップを作るときに、各スタッフから意見を吸い上げたときに大事だと思うものをまとめていったとき最終的に落ち着いたのが13個になりました。
ーもともと最初はいくつくらいだったのでしょうか?
小川さんー5-6個くらいでした。
ー3つのボーダーを打ち破る。そのなかで、社会の項目がすごく目に止まりました。内容について少し詳しく聞かせていただけますでしょうか?
小川さんータイムリーな話でいうと、「winny」という映画をやっているのですが、日本は新しいテクノロジーが出てきたときに懐疑的な傾向があります。どうしても保守派が強くて、打ちのめされてしまう。叩きのめさせられる。そんな空気感とか、情勢みたいな所を変えたい。出る杭がうたれまくる、という意識から変えていきたいと思っています。そこからきました。
ー3つのボーダーは小川さんの原体験からくるものなのでしょうか?
小川さんー もともと3つのボーダーを定義していて、昔から3つだなと思っていました。自分、環境、社会など3つの輪が影響していると考えています。それを打ち破っていくと自然と出てきました。言われてみれば、昔からあったなと思います。
昔から3つのキーワードを意識していたんですね。
話はかわりますが、小川さんについても聞かせてほしいのですが、ずっとサッカーをしていたとあるのですが、小学校でサッカーを本格的に始め、やっていくうちに上がいるのを知り1度挫折をしたなか、大学でサークルで日本一になっていますが、そのときの気持ちを教えてください。
小川さんーサッカーは高校でプロになるのを諦めましたので、大学ではやるつもりはなく、でも自分の中で本気で向き合えるなにかが欲しいなと思っていました。本気でサッカーができて、かつおもしろい人とやりたいと思って探していたら、本気で日本一を目指しているサークルを見つけたんです。
最初はサークルにはいることも葛藤していたのですが、コーチも監督も自分たちで運営する、それがすごくおもしろいと思いました。そこにやりがいを感じて、入ったものの、めちゃくちゃ葛藤するなか、本気でサッカーできるのは最後だと思っていたので、高校時代の後悔もあり絶対に完全燃焼して終わりたいという思いがあって、最後なんとか日本一をとることができました。
感動したのもありますが、報われたという思いになりました。解放されたという感じが強かったです。
ーもし、そこで日本一になっていなかったら
小川さんーもしかしたら、もう1年やっていたのかもしれません。
ー本当に日本一おめでとうございます!話が少しかわるのですが、バイト3個してまで目指した海外留学に対する思いを聞かせてください
小川さんー海外に行きたいというのもありましたが、親に迷惑をかけたくない気持ちが強かったです。
ー3個掛け持ちとありますが、どんなバイトをしていたのでしょうか?
小川さんー飲食店のキッチン、イベント警備、建築現場で働いていました。当時自分が通っていた早稲田大学社会科学部では授業は全部午後からでした。サークルは月・水・金の午前中に練習があり、週末に1回試合がある。午前中にサークルがない日は全部、建築現場にいって、夜は飲食で働き、週末はイベント警備をして掛け持ちをしていました。
ーありがとうございます。もう1つ気になったことがありまして、やりたいこと探しから家系図を作り込んだという話しがあるのですが、すごく興味がありまして、詳しく教えていただくことは可能でしょうか?
小川さんーやった目的は、やりたいことがわからなかったからです。いま思えば、やりたい事なんか自分の中になくて、とりあえず行動すべきだったと思うのですが、当時は内側にあるんじゃないかと思うことがすごくありました。やるならとことんやるタイプなので、自己分析をする中でたどりつきました。
ー小川さんはとことんやるタイプなんですね。家系図を作り込むってあまり聞いたことがないことなのですごくびっくりしました。とことんやるタイプということが、次の質問にも影響しているかもしれませんが、就職活動中にいろいろな企業の経営者のかたに話を聞きにいったなかで、どんな企業様に話を聞きにいったり、自分と同じ感性とはどんな感性なのでしょうか教えてください!
小川さんー就職のイベントなどで、サイバーエージェントやDeNAの南場さんとかのお話を聞きにいきました。ドベンチャーの経営者さんなどもガンガン聞きに行ったりしていました。就活のイベントで出会った会社もそうですし、当時ミクシーが流行っていたのですが、ミクシーからプロフィールを見て片っ端から、面白そうな人にメッセージをして、連絡して会いにいっていました。
ー行動力がすごいですね。その行動力はどこから生まれてきたんでしょうか?
小川さんー自分の中であせりもありました。確信がないというか・・・。進路も決めないといけない、時間も決められている。なりふりかまわず片っ端から連絡をしました。
ー自分自身の判断は、会いに行く前と後で変化はありましたでしょうか?
小川さんーもともとはとりあえず大手にいけばいいという考え方だった。それが価値観が大きく変わった。起業するという所に確信を持ちました。オーストラリアで感じたチャレンジする楽しさとか、社会で自分を表現するという意味でも起業するんだという新しい発見をして、この人達は絶対に同じ感覚だと確信したので、起業するって決めたのが大きな変化です。
社長さんにとって様々な方がいて、「お金儲けが全てだ」「社会的意義が大事」「いきなり起業するのはやめろ」などいろんな事を言ってくれました。情報をたくさんとれた反面、余計に混乱したこともありました。
ー本当に社長さんによっては様々な意見がありますよね。情報を得て、混乱してしまった中でどのように動いていったのでしょうか?
小川さんー情報をたくさん取り入れて、その中から探そうとしていました。結果4社から内定をもらいました。そのうちの1社はリクルートで起業したいことは就職活動中から言っていて、リクルートは経営者をたくさん輩出している企業なのでありかと思っていて、一方でドベンチャーも受かっていて、色々選択肢がある中、どこにいけばいいのか、そもそも起業するなら何をすべきなのかとか?起業するといってもなにで起業するかはまったく決まっていない。起業がなんなのかも全くわかっていませんでした。
そこに追撃するように頭がパンクしすぎて、情報を遮断しようとする時期がありました。
ー4社も受かったんですね。すごいです。頭がパンクしすぎてしまう中でどんな事をやったのでしょうか?
小川さんー原付で富士山まで行って、2日間野宿しながら考えました。ひたすらノートに手書きで書きまくり、いますぐ起業したほうがいいという結論になりました。
ーそのタイミングで決心がついたんですね!また小川さんはすごく行動をしてきていますが、「富士バカ」「ひとり単身ヒッチハイク」などをやってきて、人の優しさにふれて出会いで人生がかわった経験をすごく大切にしています。どんな経験とかされてきたのでしょうか?
小川さんーそうですね。それは起業すると決めて内定を辞退したあとの話です。大学生も辞めようと思ったが、それは親に反対されました。
まずは思いつくおもしろいことは全てやろうと思って、たまたま見つけたのが「富士バカ」という60人くらいの大学とは違うコミュ二ティがあって、その人達と無謀なことをやろうと思って、品川から湘南沿いの1号線をひたすら富士山まで歩き続けることをしました。
お金がないので、コンビニの廃棄弁当くださいとか、あとは段ボールに富士山まで歩いていますというのを書いておくと、通りすがりの人達が急にお金をくれたり、ご飯をくれたりとか、お風呂に入っていきなよとか、本当にいろんな人に助けてもらった経験があります。
自分が勝手にやったことだけど、応援されて、すごく良くしてくれる方々がいて、富士山に登頂したときは足はボロボロで疲れもありましたが、1番はめちゃくちゃ感謝が心の中から出てきて、あの人達が助けてくれたおかげで、すごい景色がみれるんだと感動しました。
そして、これをもらっただけではダメでしょうとメンバーで話したのを覚えています。
ー助けてくれる人って意外にも多いんですね。
小川さんーこれあげるからって、3000円くれたり、あとはミクシーとかやっていたので、ミクシーでいまここらへん歩いていますって発信したら、わざわざそれを見た人達が、たくさんのお菓子を買ってきてくれたりなどありました。
ーたくさんの感謝があって選ぶことができないと思うのですが、印象のあるものってなにかありますでしょうか?
小川さんーそうですね。単身ヒッチハイクで北海道に行ったとき、札幌から函館に帰るときたまたま乗せてくれたヤンキーカップルみたいな人がいて、テンションがすごく高い人達で、最初はすごく怖かったけど、めちゃくちゃいい人で、送ってくれたあとに、海鮮の舟盛など食べさせてくれて、最後に5000円くらいくれて、気をつけなよって船まで乗せてくれたというエピソードがあります。
ーそのエピソードはすごいですね。いまでもそこまで親切にしてくれる方がいるもんなんですね。話は変わりますが、BREAKの2期目に苦しい時期があったとのことですが、その苦しさを乗り越えた原動力や支えとは何がありますでしょうか?
小川さんーどちらかというと逆境に燃えるタイプなんです。基本的にヤバイとなってから、もがきどうするか考え行動するのが好きな方です。そういう意味では、しんどくはあるけど、どうやって突破してやろうかと、ちょっとしたワクワク感がありました。
ただ、当時は携帯の販売をやっていたけど、固定の社員が4名、アルバイトが10名ほどいたので、まずこのメンバーをどうにかしてあげたいという所が1番でした。
ー2期目を乗り越えて3期目にウェブ会社に絞っていく動きがありました。その中で、スタッフさんの退職もありましたが、そのときの当時の思いとか教えていただけますでしょうか?
小川さんー当時は携帯の事業をやっていました。これは儲からないと思っていて、現場に1人いれてMAXで3-4万の稼ぎでした。売上をあげるとしたら、どれだけ人を増やせるのか、だけど、人を増やすと管理コストも増えます。当時の携帯業者も政府の規制とかもあって、今後はやっていけないと思っていました。
そもそも会社を作った理由は、自由になりたくて、場所にとらわれず働きたいとか、豊かさ、選択肢を増やすためにも、自分も含めてスタッフにも還元できるような会社を作りたいと思って始めたのに、全然逆のことをやっていました。
そこから理想の会社にするためにを考えたときに、自分が理想としている働きかたをしているのがweb関係でした。web関係の会社をたちあげようといろいろ勉強をしたけど、自分でやってもラチがあかないので、うまくいっている人に聞くべきだなと思って動いている中でいまのメンターに出会いました。
携帯事業をしながら自分が勉強をして立ち上げをしていきました。
ー幼少期は人見知りの小川さんが、どのように人のためにという変化にいたったのでしょうか?
小川さんー転換期は大学生のときが大きいと思います。それまでは誰かのためとかは考えたことがない。正直自分さえよければいいと思っていました。働くのも嫌でした。バイトをさぼりまくった経験もあります。
その後のオーストラリアでかわりました。働くってなんだろう?って考えたときに、手伝ったらすごく喜んでくれる。人に貢献することで、人に喜んでもらってお金がもらえる。それを体験したときに自分の価値観が変わりました。
ー人の感謝をなにかでかえすというのが大きいのでしょうか?
小川さんー当時は自分が自惚れていました。感謝なんてクソだよ!みたいな感じだった。親にやってもらうのが当たり前になっていて、当たり前のことがなくなったときに感謝ができるようになりました。
ー最初の場所がオーストラリアなのは大きかったと思うのですが、もし違った場所に行っていたらどうだったでしょうか?
小川さんー当時、オーストラリアじゃなかったとしても、それなりの経験は積んでいたと思います。オーストラリアにはなにか縁があったと思います。
ありがとうございます。
最後に、小川さんの在り方、夢を教えてください!
小川さんーいまはweb会社だけど、自分がやりたいのは理念というか「Break The Border」にあるように自分と同じように殻にこもっている人とか、なにか不自由に感じている、やりたいことあるけどできないなどを経験している方のそれをぶっこわして、あらたな道を作っていくきっかけを作りたいです。
その理念にあう事業でしたら、僕はどんどんやっていきたい。たまたま今がwebであるだけで、今後はいろいろな分野で事業をやっていきたいと思っています。
自分と同じようになにか事業を作りたいとか、ビジネスをやりたいとかいれば、僕はそれを支援して一緒に事業してくとか、あるいはホールディングスみたいなものを作っていきたいです。
おもしろい事をやるメンバーを増やしていきたい。地球という場所を使って、遊びまわれたらおもしろいなと思っています。
ーこれからさまざまなボーダーが壊され、おもしろいことがたくさんうまれてくるのが見えてきそうです。わたしもBreak The Borderをしながら進んでいきます!一緒におもしろいことができそうでしたら、その際はよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
小川さんーありがとうございました!
【プロフィール】
株式会社BREAK
代表取締役 小川佳祐
早稲田大学社会科学部を卒業後、すぐに友人と起業したが即失敗。旅人、ニート、完全歩合の飛込営業などを経て、2016年に営業代行会社として株式会社BREAKを創業。
2018年には未経験からWebマーケティング支援事業を立ち上げ、事業転換。
2020年にWebマーケティング講座”BMP”を開講。2年半で全国・海外から1,400名以上が受講。
2022年3月に熊本市と協定を締結し、地方創生プロジェクトを始動