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ピュアでごめんなさい
新企画の「ピュアでごめんなさい」
ピュアな想いや考えを持っている方をご紹介してペイフォワードしていく企画です。
株式会社ミライユの伊賀です。
今回ご登場いただくのは、株式会社昼job代表取締役の坪嶋拓真様(以下坪嶋さん)です。坪嶋さんに今までの人生について、会社の未来、在り方や夢についてお聞きしていきたいと思います!本日はよろしくお願いします。
坪嶋さんーよろしくお願いします
ーはじめに、坪嶋さんについてエピソードなど交えて教えてください
坪嶋さんーそうですね。自分は大阪出身なんですけど、高校卒業と同時に上京してきました。
ー高校卒業後と同時に独り立ちしたんですね。上京後はどんな仕事をしていたんですか?
坪嶋さんー上京は自分自身で決めたわけではなく、実家で一緒に暮らしていた父親の言葉がきっかけでした。高校2年生の時に父親から「お前は実家から離れて暮らした方が成長できるから東京に行きなさい」という言葉をもらい、高校卒業と同時に上京することが自然と決まりました。ちなみに家族とは今も昔もめちゃくちゃ仲良しなので、決して仲違いによる巣立ちではないです。だからこそ、父親の言葉を素直に受け入れた上で上京しました。
いま思えば、一人前の男に成長するために父親が背中を強く押してくれたんだなと思っています。
ー高校卒業後と同時に独り立ちしたんですね。上京後はどんな仕事をしていたんですか?
坪嶋さんー自分の叔母さんが経営している浅草の大衆演劇の小屋で、舞台の裏方として働いていました。そこには後継者となる子どもがいなかったので、後を継ぐ道も視野に入れて修行、というかたちの仕事ですね。
そしてしばらくしてから、昼の仕事もやりながら友達の紹介をきっかけに週2、3日ほどバーで働くようになりました。一時的には昼職を辞めて夜一本で働くようになった時期もあって、20歳の時には自分のお店も出しました。
ただ、それまで歩んできた経緯が舞台の裏方や夜の仕事だったので「一般的な社会人」という経験がありませんでした。スーツを着て電車に揺られる社会人像にめちゃくちゃ憧れを持ち始めました。そのような思いがあって、夜職から完全に卒業して昼職の道を選びました。
ー上京後の生活はどんな感じだったんですか?
坪嶋さんーめちゃくちゃ寂しかったです。自分、寂しがりなんですよ。当時働いてた大衆演劇は働いてるスタッフやお客さんは20歳以上も年上だったので、年齢の近い友達が一人もいなかったんです。
当時は寂しさのあまり、毎日コンビニに売っている2リットルの焼酎を2日で1本開けて、家で一人ベロベロになるみたいなバグった生活を送ってました。友達が一人もいないからどうしようって思ってたんですけど、女の子のナンパはどうしてもできなくて。なので、生まれて初めて男に「友達になってください!」ってナンパしました。
当時、お金がなかったので洗濯機を買いにリサイクルショップに行ってたんですけど、そこの男の店員さんにもナンパしましたね。その店員さんが自分と同い年でめちゃくちゃ仲良くなりました。そこから友達の友達、みたいな感じで交友関係が少しずつ広がっていきましたね。
ーその延長線上で夜職を始めたんですか?
坪嶋さんーそうですね。そのリサイクルショップの友達が昼はリサイクルショップ、夜はバーで働いていて、「夜はうちのバー手伝いなよ」って誘ってもらったことがきっかけです。
その友達と出会えたのも自分がナンパしたことがきっかけですけど、寂しすぎて相当追い詰められていたんでしょうね。今もし友達を一人つくる、となっても知らない人にナンパなんてできないですもん。
ー夜職から昼職への転換は大きな方向転換だったかと思います。方向転換する際に重視した要素はありますか?
坪嶋さんー1番はお金の部分ですね。多くの場合、昼職よりも夜職の方が稼げるんですよ。夜に働いていた時は結構良い家に住んでたので、何も考えずに方向転換したら家賃が払えなくなることに気が付きました。なので、昼職の中でも特に時給が良いパチンコ業界へ飛び込みました。パチンコ業界でも4~5年間ほど働いて、出世もさせてもらいました。
そして29歳で結婚して子どもが生まれたんですけど、「今の働き方は自分が思う理想の父親像にマッチしているかな?」という疑問を持ち始めました。子どもって、大きくなったら「お父さんって何の仕事してるの?」って聞くじゃないですか。自分はギャンブル一切やらないですし、子どもに「お父さんはパチンコ屋で働いてるよ。お前も大きくなったらやるんだぞ」と伝えるのは理想の父親像と違ってるなと思って。子どもにとって胸を張れる仕事に就きたいと思って、29歳の時に人生最後の転職として不動産業界へ飛び込みました。
ー他のメディアで、2社目で培った経験が会社の設立に至る転機だったと伺いました!
坪嶋さんーそうなんです。2社目で採用担当を任せてもらった際にキャバ嬢が面接に来てくれたんですよ。それをきっかけに、「夜職経験者の昼職への転職を支援するサービスって良くない?」っていうアイディアが浮かんで、社内ベンチャーの一つとして二ヶ月間ほど昼jobをトライアルで始めました。すると最初の一ヶ月目で集客することができました。これをもっとカタチにしていきたいと思って、独立に至りました。
ー続いて、会社を創りあげていく中で苦労したことはありますか?
坪嶋さんー経営をしていく中で、「ちょっとこれはヤバいな」「赤字が続いているな」という危機的状況に陥ったことは今まで一度もないですね。銀行関連の融資も受けずに自社のお金で経営できているので、決定的な苦労は一度もありません。
ただ、コロナはある種の恐怖を感じました。コロナは何百年に一度しか起こらない世界的パンデミックだったので、設立間もない中で会社を続けても大丈夫なのか?会社が潰れてしまわないか?という漠然とした恐怖はありました。
ーコロナ渦において葛藤がありながらも、そこまで順調に進んでこれたのはすごいですね。会社を創った中で最高にハッピーだったエピソードはありますか?
坪嶋さんー夜職から昼職への転職を志す求職者さんのエピソードが一番記憶に残っています。
その子が当時21歳で風俗しかやったことがない子で、面接もなかなか上手くいかずに苦戦しました。それでも自分をお兄ちゃんのように頼ってくれて、二人三脚でなんとか内定をゲットすることができました。入社一か月後に泣きながら電話してくるくらいだったんですけど、それでも一年半真面目に頑張って続けてくれて、別の会社からめちゃくちゃ良い条件を揃えてヘッドハンティングをもらえたんです。本当にきれいなパターンで、夜職から昼職へのキャリアチェンジを体現してくれたのが嬉しかったですね。
ーすごく嬉しいエピソードですね。その求職者さんと改めて話す機会はあったんですか?
坪嶋さんーはい。コロナ前までは選考中の求職者や内定をもらった方同士が集まる「昼job感謝祭」というイベントをやっていました。今選考中の方達が内定をもらえた先輩の成功体験やアドバイスを聞けるような場づくりを目的としていたんですけど、第一回目のイベントにその子が来てくれたんです。
そこで先輩としてのアドバイスを話してほしいと伝えたところ、皆の前で「私は昼jobに出会って、180度人生が変わりました!」って話してくれたんです。当時のサポート担当として付いていた自分に、「本当にお世話になったから」と言って名刺入れをプレゼントしてくれました。
ー最高にハッピーなプレゼントですね!当時の名刺入れはまだ使ってるんですか?
坪嶋さんーもちろんです。当時もらった時とほとんど変わらないくらい綺麗な状態で使ってますよ。当時そこそこ良いブランドの名刺入れを使ってたんですけど、それはうちの社員にあげて、もらった名刺入れを使い続けています。
後から知ったんですけど、その子が昼jobで就職した時の初任給で買ってくれた名刺入れだったんです。子どもが親に恩返しするみたいな感じですよね。どんなに高級な名刺入れよりも、その子がくれた名刺入れが自分にとって大切で一番価値のあるものです。
ー話は変わりますが、Twitterで三か月後、新たに昼jobが生まれ変わるというツイートが気になりました・・・話せる範囲まで教えてください!
坪嶋さんーまずはメンバーのヘッダーとかを一新させて、昼jobを再始動していく予定です。あと詳細はまだ内緒ですが、四か月後くらいをめどに昼jobから新しいサービスをローンチさせる予定です。新サービスにも昼jobのように「〇job」みたいな独自コンセプトを込めるので、新たに話題となるんじゃないかなと思います。
ー「変態アベンジャーズを日本一にしたい」というツイートについても教えてください
坪嶋さんーコミュニティ内でのアクティブさは、既に日本一なんじゃないかと思います。ここまでメンバーが日々投稿して繋がりを大切にしているコミュニティはなかなかないと思います。
こないだ、トゥモローゲートさんの「ブラックな祭り」のパロディで「ホワイトな祭り」っていうツイートをしたんですよ。どうせやるならガチでやりたかったのでヘッダーも全部手作りで作ったんですけど、Twitter上で17位にトレンド入りしました。
そこまで本気で乗っかってくれるメンバーがいるコミュニティってめちゃくちゃ強いなと思ってて。真に熱いメンバーが集まってくるTwitter上のコミュニティが変アベでありたいなと思っています。
別のタイミングでツイートした「Twitterといえば有名な社長にランクインしたい」というのもほぼ同義ですね。どうせなるなら本気でやりたい、という思いから発した言葉です。
ー坪嶋さんにとって「コミュニティ」とはどんなものですか?
坪嶋さんーオンライン、オフラインいずれにおいても、何も変わらない「人と人とのつながり、交友関係」だと思います。先日、自分が結婚式を行ったんですけど、コミュニティ間でつながっている40名の方々が東名阪から飛行機を使って参加しに来てくれたんです。コミュニティの仲間達が、直接会ったことがない自分にはるばる会いに来てくれたことがすごく嬉しかったですね。
ー会社のメンバーを何かにたとえるとしたら何をイメージしますか?
坪嶋さんーワンピースですね。うちには元キャバ嬢、風俗嬢、郵便局で働いていた人など本当に色々な人がいるので、それこそ骸骨やロボットがいる麦わらの一味と一緒だと思っています。
一般的には人材を採用する際に「高卒以上」などの条件があると思うんですけど、うちは間口がすごく広いですね。その上で大切にしているのは、職業や身なりはその人独自であっても「クズはいらない」という考えです。どんなに勉強が苦手でも、仕事は努力して学べば覚えられます。できないことをできるようになるために、努力する人間性だけはしっかりと持っていてほしいと思っています。
ー坪嶋さんが大切にしてる採用軸はありますか?
坪嶋さんー入社当時の初心を忘れない人ですね。たとえば入社を決めたきっかけが「昼jobが好きだから」「自分の下で働きたいから」だったのであれば、入社して仕事に慣れた数年後も、その軸を忘れずに周りへ感謝の心を忘れずに取り組める人と一緒に働きたいです。どうしても仕事に慣れていくと初心を忘れてしまう人って多いと思うんですけど、初心を忘れずにひたむきに頑張れる人が本当に活躍できる人材だと思っています。
ー坪嶋さんの行動指針を教えてください
坪嶋さんー「常に正しくあれ」それが自分の行動指針です。
自分の行動指針は、心底尊敬している父親から学びました。父親は元々熱血的な体育教師で、「常に正しくあれ」という行動指針を色々なかたちで子どもの頃から教えられました。正しさって言葉にするのは簡単なんですけど、本当に体現するためには「正しさとは何か?」と日頃から自分で考えなきゃいけないです。
だからこそ、自分が正しいと信じたことは実行しますし、たとえどんな結果になっても後悔しません。それが今も昔もこれからも、揺るがずに貫いていきたい自分の生き方ですね。
ー会社の未来像を教えてください
坪嶋さんー全体の社員数は20人まで、それ以上は増やさない方向です。メンバーがそれ以上増えると、人間性的な部分も含めて自分が十分に見られなくなるからです。だからこそ、集ってくれた20人のメンバーは大切にしてきます。
そして雇用の難しさに直面している業界、業種にフォーカスを当てた新たな〇jobをもっと増やして、より多くの求職者さんの就職をサポートしていきたいです。
一方で、会社が目指す未来の実現は自分の世代で100%実現することは難しいと思っています。これから何世代にも渡って、目を向けていかないといけない課題だと思います。だからこそ、誰かが最前線に立って課題に向き合っていかないといけない。今はそのポジションに自分が立っていたいです。
ー色々なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!坪嶋さんの熱い想いからパワーをたくさんいただきました!これからも、Twitterの発信も楽しみにしております!
坪嶋さん、本日はありがとうございました!
【プロフィール】
株式会社昼job
代表取締役
坪嶋 拓真(36歳)
大阪学芸高等学校を卒業後、上京。昼間は伯母が経営する劇場で舞台製作の仕事を行いながら夜はボーイズバーにて勤務。20歳の時に自らBARを出店。夜の仕事をするにつれ、サラリーマンに憧れを抱き夜職を卒業。その後様々な仕事をするが、結婚を機に不動産会社へ転職。賃貸事業部責任者から人事責任者を経て株式会社昼jobを設立。新聞やTVなどの各種メディアでも取り上げられ、現在はTwitterやtiktokなどのSNSでも勢力的に活動中。